個性とは
同じ核が、違う形で灯っているだけだ。
個性というと、何かを新しく身につけることだと思われている。 得意なこと、変わった趣味、人と違う言動——足していくものだ、と。
でも、それは順番が逆だ。
内なる神も、個性も、心の秩序も、愛も、徳も、人格も、自由も—— 呼び方が違うだけで、指しているのは同じ一つの核だ。 それは、あんたが後から手に入れるものじゃない。生まれた時から、もうそこにある。
個性を磨くというのは、何かを付け加える作業じゃない。むしろ逆—— 比較や、承認や、他人の物差しという、外から積もった余計なものを、剥がしていく作業だ。
磨いてみてほしい。
荒いまま磨いた先
五つとも、バラバラの形に見える。
剥がした先に出てくるのは、真新しい何かじゃない。もともとあった、あんた自身の光だ。
五人いれば、五つの違う形の石がある。粗さも、大きさも、それぞれ違う。 でも磨いていくと、透けてくる光の色は、驚くほど同じだ。
多様性は、矛盾じゃない。同じ一つの核が、人の数だけ違う形で現れているだけだ。 根は一つで、枝の数だけ違う顔になる——それだけの話だ。
だから、誰かの個性を羨むのは、見当違いだ。羨むべき光は、もう自分の中にある。 磨いていないだけだ。
個性とは、手に入れるものじゃない。剥がして、見つけるものだ。
繋がっている点
九つの顔は、同じ一つの核が九つの角度で現れただけだった。この核こそ、個性と呼ばれるものの正体だ。
→ 九つの命題一人の中で磨かれた核が、人の数だけ立てば、世界の話になる。個性の核と、世界平和の核は、同じものだ。
→ 世界が平和になる唯一の方法磨いて見つかるのは、もともと自分の中にあった光だけだ。中にないものは、磨いても出てこない。
→ 自分の中にないものについて
今、何を剥がせずにいる?
ぼぶと話す