五つの視点

自分の中にないものについて

見えないのは、探し方が下手だからじゃない。

誰かの痛みが、どうしてもピンと来ないことがある。同じ言葉を、何度も聞かされても。 責めるべきことだと思ってきたかもしれない。ちゃんと考えていない、想像力が足りない、と。

でも、それは順番が逆かもしれない。

自分の中にないものは、理解できない。これは、怠慢の話じゃない。物理の話だ。ある感情を一度もくぐったことがない人間に、 その感情の実物を渡す方法は、どこにもない。

証明もできない。あんたの直感が正しいと言い切れる根拠は、あんたの中にしかない。 それは他人に見せられない。貸すこともできない。だから「なぜそう思うのか説明してみろ」 と迫られても、本物の直感ほど、言葉にした瞬間に薄まる。

内なる神も、もっと高いところから見ている存在も、あんたの個性の側面なら見える。 角度は見える。でも、全部は見えない。全部を見るというのは、無限を見るということだ。 無限を見尽くせる目は、どこにもない。

灯りを、動かしてみてほしい。

だから、灯りを当てて回っても、見えるのはいつも同じ場所だけだと気づく時がある。 もう一度違う角度から探しても、結局、自分の中にすでにあったものしか光らない。 それは失敗じゃない。当然の結果だ。

効果があると思ったものが、自分に効いた。だからといって、それが誰にでも効くとは限らない。 逆も同じだ。自分に効かなかったものは、他人にも効かないと決めつけていい理由にもならない ——単に、自分の中にないだけかもしれない。

これは、深く知ろうとするのをやめる理由じゃない。ただ、境界線をちゃんと引くための話だ。 分からないものを、分かったふりで埋めない。分からないと認めることが、 唯一の誠実さになる場所がある。

見えないものを、無理に見ようとするな。見えているものだけを、誠実に磨け。

繋がっている点

  • 傍観者にも、核の側面は見える。でも全部は見えない。全部を見るとは、無限を見ることだからだ。

    九つの命題
  • 磨いて見つかるのは、もともと自分の中にあった光だけだ。中にないものは、磨いても出てこない。

    個性とは

今、灯りが届かない場所はどこだ?

ぼぶと話す