REFLECT
三次元で、閉じるな
現代は、たいていのことに説明がつく。 感情は脳内物質。性格は遺伝と環境。 人間を科学で分解していけば、ぜんぶ三次元の現象として片づいていく。 当たり前だ。こっちは三次元の存在なんだから、 三次元の言葉で説明がつくのは、そういうものだ。
問題は、その先だ。 「説明がついた」が、いつのまにか「これが全部だ」にすり替わる。 全部わかった、という構えで見ると、世界は説明の箱に収まるサイズまで縮む。 箱の中には、意味の出どころがない。 だから箱の中だけで考え続けると、行き着く先は決まっている——ただ虚しいだけの、世界だ。しかも虚しさは、そこに留まらない。引力を持っている。 気づかないうちに、あんたを闇の方へ、少しずつ引きずり込む。
昔の人は、知らないことだらけの世界に住んでいた。 だから、見えない心や、魂や、人を超えたものを考える余白があった。 科学が悪いんじゃない。 説明がつくたびに「その先」を考えるのをやめてきたことが、余白を潰した。
その結果が、いまだ。 三次元の我々に認知できないものは、順番に「無いこと」になっていく。 ほとんどの人間が、高次元の概念をまるごと無視して、 三次元の尺度だけで物事を考える。 箱の中の物差しで箱の外を測って、「何もなかった」と報告する。
ここに、説明がつく前の世界がある。
三次元を包む、もう一段上の理があるかどうか——証明はできない。 だが、証明できない=存在しない、には、ならない。「無い」のほうも、証明はできていないんだから。 だったら、どっちの構えで生きるかは、選べる。 色の死んだ箱の中の虚しさか、開いた余白の広さか。 知らないことがあると認めるのは、負けじゃない。 だから——三次元で、閉じるな。
繋がっている点
次元は、ひとつ上で終わりじゃない。三次元で説明が閉じても、それを包む理には、まだ先がある。
→ 高次元
箱の外の話を、してみるか。
ぼぶと話す